新しいカレから学ぶこと(*^^)v 平和について

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最近の私の楽しみは、お昼休みに新しいカレと公園デートをすること♪
大正12年生まれのカレは、私に今の世の中がどんなに幸せか教えてくれるんです。

カレは、終戦をフィリピンで迎えたそうです。北海道に戻ってきたのは昭和23年だから、終戦後3年間をアメリカ軍の捕虜としてフィリピンで過ごしていたのね。
カレの話によると、アメリカ軍の捕虜生活は食事も悪くなく、かえって太って日本に帰ってきたらしいの。これはもちろんカレの話です。ひどい目にあって、残しておかなくてはならない事実も、他にある事は知っているわ。あくまでも彼が身を置いていた環境での話です。

終戦を迎えるまでの話では、カレのまわりでは弾に当たって死んだ兵士は10人に1人だったって。それでもカレの仲間はたくさん死んでいったと。それは、食糧が尽きての話。食糧がなくなると、山に入って野草や木の実を食べて飢えを凌いだそうなの。カレは元々貧乏な農家の出。野生のもの食べることなんて、なんともない事だったのだけど、街の出のお坊ちゃん兵士は、すぐお腹を壊してしまうんだって。そうすると歩く事が出来ないので、やむなくそういった仲間を山に残して進んでいかなくてはならなくなるの。すると残された仲間は衰弱し、やがては動物の餌食となり亡くなっていったんだって。遺族の人には、話せない、戦死と言っても、動物に食われて死んだなんて、とっても言えないとカレは呟いていたわ。

こんな話もしてくれたの。戦争で一番の被害者は原住民の人々だったって。もう敵も味方も苦しい戦況で追い込まれると、必ず原住民の集落の後ろに回るって。そうすればもちろん、弾はその一般の人々を巻き込むの。すると、敵は非情な軍隊だと広報するのね。それは両軍ともだったって。
それは本当にひどい話だって、くりかえしていたわ。

弾に当たらなくても死に、武器を持たなくても死ぬ。本当にひどいよ。

今日は、長崎の原爆記念日。記念日???ってなんとなく違和感を感じてしまうのは、私の勘違い?
平和祈念の日に名前を変えて欲しいくらい。
原爆だけじゃない、空襲でも、もちろん日本でもあった地上戦でも、人の命を簡単に消し去ってしまう事は同じ。
人の人生は、山あり谷あり、苦しくても頑張らなきゃ、その向こうには明るい未来がある!って生きて行くのが本当なのに、それすら奪ってしまうとんでもないこと。


以前読んだ沼田流人の「血の呻き」って本。これは、題名の通り恐ろしい内容のプロレタリア文学。
小樽の多喜二、倶知安の流人と呼ばれたように、タコ部屋労働のリアルな実態が書かれた一冊です。
戦争もタコ部屋労働も、過去の事として知らなかったと流してしまえば済むかもしれないけど、それではきっと
何か形をかえて、過ちを繰り返してしまうのでは?
この本の帯に書かれていた、作家早乙女勝元氏の一言が、私が北海道の近代歴史をもっと知りたい!と思ったきっかけです。

これは、車のバックミラーのような一冊だ。私たちは、うしろも見ながら、安全を確認しつつアクセルを踏む。

新しいカレの話を聞きながら、この言葉を思い出したの。
戦争、原爆を語れる人達は今やわずか。私は、このカレとの出会いも何かの運命と感じた(大げさ!)
そして、縁あって暮らしている北海道の真実や本当の魅力を、いつまでも上達しないカメラ片手に少しずつ探していけたらいいなって思っています。





カレは言うの。今の世の中は本当に幸せだと。年金ももらえるしって(笑)
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by hokulele2 | 2012-08-09 00:00 | 日常 | Trackback
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